山の上ホテル(前身は佐藤生活振興館、のちの大日本生活協会本部)を明治大学が取得したことが明らかになりました。
山の上ホテルの歴史を追うと
明治大学のプレスリリースでは、「戦時中は旧海軍(中略)として使用」
山の上ホテルのホテルのHPでは、「太平洋戦争中には帝国海軍に徴用」
と記載がされております。
実は私も山の上ホテルに宿泊したことがあり、当時フロントで海軍のどの部隊が徴用していたのか質問したことがあります。帰ってきた答えは「わからない」でした。
そこで、自分で調べてみても海軍側の資料の記載は確認できませんでした。
NHKは、山の上ホテルに関するニュースにおいて「戦時中は海軍が徴用し」と記載しております。
一方で千代田区の資料では、海軍に関する記載はありませんでした。
これらのことを踏まえ、海軍が山の上ホテルを徴用したことは事実なのか、一次史料から裏付けることができるのか疑問を持ち調べてみました。
まずは、山の上ホテルへ取材をすると、「裏付ける資料は見つからない」とのことでした。
次に、取得した明治大学へ問い合わせると「2011年発行の明治大学小史に記載があるが出典は不明、こちらと合わせて山の上ホテルのHPを参照してプレスリリースを記載した」との回答を得ることができました。
NHKへ問い合わせておりますが、現在まで連絡はありませんので、裏取りしているのか不明です。
そこで、真相を確かめるべく国立国会図書館にて調べました。
わかった事実としては、
①海軍が徴用した記載が建築関係の雑誌(日経アーキテクチャ1980年9月1日号P49)に記載。ただし、出典が明記されておらず、記録によると昭和13年(1938年)に帝国海軍に接収され将校宿舎になりほとんど使用されなかったと記載
②厚生省20年史に、軍事保護院が1945年2月に軍事保護院が移転した記載
③新建築55(10)新建築社に、昭和13年帝国海軍接収、戦時中は将校宿舎との記載
以上を踏まえると
1938年 海軍接収 のち将校宿舎(山の上ホテルHPの記載は第二次世界大戦中に海軍接収)
1945年 軍事保護院
が使用したことになりますが、
大日本生活協会の記録を見ると接収の記録もなく、米穀政策研究会が第二次世界大戦中に入居したり、
雑誌「生活」の発行を続けていることから徴用が事実であったとしても建物の全面接収ではないようです。
1980年までの媒体でしか海軍が徴用した記録は遡れず、徴用した年も記録によってバラバラなため、
今回の調査では山の上ホテルが徴用された事実は一次史料において発見できませんでした。
引き続き調査を続けてまいります。
2024年11月22日
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